講師陣/国語科
講師一覧
東日本のみに出講する講師は東日本のみに出講する講師に記載しています
現代文科
池上和裕、池尻俊也、泉容子、大熊洋行、小川倫子、奥村清次、河田喜博、川戸昌、北岡充子、小泉徹、小金丸顕、小坂恵子、薄嘉代子、高見健司、鶴見貴之、長坂恵子、中野芳樹、橋立誉史、古川大悟、松波麻貴、松本孝子、彌榮浩樹、諸岡三佳、山崎萌
古文科
青木新吾、池上誠司、岩手勇二、岩名紀彦、上田慶子、宇野陽美、岡本アンヌ、加納英年、雁金由美子、菅野三恵、北川仁美、高生汀用、後上敦哉、駒澤幾郎、下司賢治、瀬古啓希、中野洋子、二宮加美、前田春彦、松尾五月、松田雪子、丸谷美衣、森下真衣、柳田縁、矢野雅子、山口美江、山本裕子
漢文科
市村奈津子、岩名紀彦、江口幸子、大角哲也、小笠智章、小川倫子、久我昌則、九嶋利宏、下司賢治
論文科
国語科概説
現代文科
- 主任は松本孝子先生。
- 中野芳樹先生考案の「客観的読解法」及び「論理的解答法」をベースとした授業を展開する講師が多い。
- これらの方法は巷の読解法とはやや毛色の異なるものであるが、非常に汎用性が高く支持を集めている。
中野芳樹師のウェブサイトより。
「客観的に読む」?(https://nakanogendaibun.com/)
著者=他人の書いた文章を読んで、その特定箇所の「意味」について「どういうことか、説明せよ」と問われ、「正しく説明」したり(記述式)、「正しい説明」と思われる文をひとつ選んだり(選択式)すること。それが現代文の問題を「解く」ときの、最も標準的な行為ですね。
で、そんなことがどうして可能なのでしょうか?
その「正しさ」の根拠はどこにあるのでしょう?
常識的な「正しい読解」「正しい答え」について、その妥当性を検討してみましょう。
第1に、当該の文章の著者がいて、著者が読者に伝えたいこと(主観a)を文章表現というもの (客観a) の形で記述します。言うまでもなく主観aと客観aとは同一ではなく、むしろまったく異質です。簡単に言えば、「頭の中のこと(意識a)と紙に書かれたもの(文字群a)とは、まったく別物だ」ということです。
第2に、入試問題などの出題者がいて、上記文章(客観a)の内容(主観a)を「解釈」(主観b)し、その解釈に基づく「正解答」(客観b)を求める設問を作成します。
おそらくこの時点で、常識的には、「著者の主観a」=「出題者の主観b」という前提が存在するでしょう。そうでなければ、そもそもテストを作成して受験生を正解・不正解等で評価することなどできるはずがないではないか、と。しかし、そのような「前提」の正当性は自明のことではないでしょう。しかも、出題者の解釈bと設問の正解答bとでさえ、第1の場合と同様に異なっているのです。
第3に、受験生や教師・講師などの解答者が、本文(客観a)と設問要求を解釈し、自分なりの「答案」(主観c)を思い浮かべます。それを記述解答や模範解答例として解答用紙や黒板などに書けば、それが客観cです。
こうして見ると、「正しい読解」「正解」について、
主観a=主観b=主観c
という等式が成立可能であるという、極めて無理のありそうな前提が、素朴に広く了解事項とされているようです。相異なる主観三者間の一致を前提として、「正解」が存在すると信じられているとすると、当然問題は……
そんな複数の主観の一致があると言いうる根拠は?
ということになりますね。
この問題については、しばしば「客観的に読解する」とか「論理的に考える」とか「本文に従う」といった言葉が無反省に多用されています。その種の主張は概ね次のようなものです。すなわち、「本文(客観a)を客観的・論理的に読んで正しく理解(主観c)すれば、筆者の言いたいこと(主観a)、あるいは出題者の意図(主観b)を正しく把握できている(主観c) のは自分の解答(客観c)だということになる」といった、臆断だらけの怪しいものが多いのです。
上記のような、複数の人間の主観間の一致と、さらに主観―客観間の一致とを大胆に(?)信じられるというのは、驚くべきことではないでしょうか。 思うに、現代文という科目では問題の作成者と問題の解説講義者とには(そして、受験生にも)、「主観間の一致」や「主観―客観間の一致」という無反省で怪しい前提を慎み、自らに厳密な客観性の規範を強いる潔癖さが求められるのではないでしょうか。そして、その厳密な客観性は上記の「客観a」すなわち本文表現それ自体に徹底して基づくことでしか得られないのではないでしょうか。
私(中野芳樹)の「客観的速読法」は、この「厳密な客観性の規範」を方法論のベースのひとつとしているのです。
- これらの方法は巷の読解法とはやや毛色の異なるものであるが、非常に汎用性が高く支持を集めている。
- 中野芳樹先生とはやや方針が異なる講師もいるが、その中でも人気講師は一定数いる。
- 京大志望者を中心に絶大な支持があり、主任である松本孝子先生、大阪南校を中心に講習会で締め切りを連発する、比較的若手の池上和裕先生などが特に人気。松本孝子先生は、中野芳樹先生の方式と関東の霜栄先生の方式の間をとった感じの授業を、池上和裕先生は、中野芳樹先生の方式と船口明先生(代ゼミの人気講師、参考書やセンター対策でも有名。)の方式を混ぜたような授業を展開する。
- 京都地区や名古屋地区では、河田喜博先生が人気。クセがない読解法で授業を展開する池尻俊也先生、中野芳樹先生の読解法を初心者向けに展開する高見健司先生といった知名度こそ低いものの指導力は確かな講師が多い。
- 近年、『京大現代文』などを幅広く担当する古川大悟先生が若手ながらも頭角を現している。駿台で教え始めて数年で京大実戦模試の作成や、京都地区での『東大現代文』等も担当するほどである。
- 講師間の実力差があまりない教科の一つという意見も。
- 中野芳樹先生の方針が合わない人も、駿台に信頼を寄せて問題ないだろう。
- 異なる方針の講師のやり方の良いとこ取りしようとするのは止めた方が良い。結局中途半端になって力が付きにくい。通期で担当される講師が複数の場合、どれが1人のやり方で徹底して他の授業を受けた方が効率的である。(池上和裕先生談)
- 上記の通り論文科と兼任する講師や、小川倫子先生のように漢文科との兼任もいる。
- 関東では一般的に膾炙している読解法を使用するため、物理科の次に関東との対立が激しい科目である(教材もほとんど東西別々である)。詳しくは派閥の項目を参照のこと。
- 以前は、金森光昭先生・川戸昌先生の二大巨頭だったが、現在は完全に中野芳樹先生や池上和裕先生等に引き継がれた。
【参考文献】
- 澤井繁男・中野芳樹(2000)「大学「入試問題」請負いマス・・・予備校に「お呼び」がかかる理由(わけ)」, 『諸君』32(11), pp.164-173, 2000-11, 文藝春秋.
- 中野芳樹(2010)「駿台現代文科の学習指導 (特集 教科指導の方針と方法--駿台予備学校の〈教務研修〉から)」, 駿台教育研究所編『駿台教育フォーラム』第27号, pp.126-132, 2010-07, 駿河台学園駿台予備学校.
- 中野芳樹(2014)「総会講演会 センター試験レベルの現代文の解法」, 『兵庫国漢』(60), pp.54-76, 2014-03, 兵庫県高等学校教育研究会国語部会.
古文科
- 主任は二宮加美先生。
- 古文科も非常に層が厚いと言える。
- 二宮加美先生、菅野三恵先生など、講習会では締め切りを連発する講師が多数。
- 大阪南校では、解法にかなり癖はあるものの北川仁美先生が絶大な人気を誇り、他校舎から師の講習を受けに行く者もいる。
- サブテキストが東西で異なるなど、物理科、現代文科に次いで東西の仲はよろしくない。
漢文科
- 現代文科や古文科と比べると、講師数の少なさが目立つ。
- 理系でセンターだけ漢文が必要という生徒の人数を考慮すると妥当かと。
- 現代文科や古文科と兼任する講師もいる。
- 最も講習会で締め切りを多く出すが授業態度には厳しく「スナイパー幸子」の異名を持つ江口幸子先生が特に人気。
- 後期教材の『漢文V』の監修を手がける久我昌則先生や、基礎から丁寧に指導される岩名紀彦先生などが人気である。
- 著作活動に熱心な三宅崇広先生(東大の青本、『漢文A』の執筆担当)を中心とした関東がどちらかというと主導権を握っている。
- しかし、東西間の仲は良好とのこと。生物科や化学科が西日本中心だとしたらその逆のようなものか。
- 指導方針も共通していることが多い。三宅崇広先生や江口幸子先生をはじめとして、「日々の漢字への意識」を高めていくよう指導されることが多い。
- 夏期、冬期のセンター漢文の講座は講師数の割に需要の大きい講座なのでどの講師であっても締め切る場合がある。
- 下司賢治先生は古文科と兼任である。