灘高校

Sun, 17 May 2020 17:52:13 JST (1438d)
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灘高等学校は兵庫県にある私立高等学校(中高一貫校)。男子校である。

概要

特徴

  • 例年、浪人すると大阪校に行く者が多く、毎年SSクラスやMSクラス鉄緑会出身者と2大派閥を形成している。
    • MSクラスの雰囲気がまんま灘高のノリであると言っても過言ではない。
    • 実際には鉄緑会出身の灘卒がほとんど。
    • 授業をサボったり内職する人が多い。果たして彼らを駿台の合格者数に含めて良いのだろうか。
      • もちろん成績に余裕がないから、というのではなく、そもそも現役時代にほぼ受験勉強を完成させており、授業に出る理由がないから、という場合が大抵である。
      • 故に成績上位陣を埋め尽くす。
  • 和田秀樹氏在学の頃は、通期で塾・予備校に通うような生徒はほとんどいなかったらしいが、現在は多くの生徒が塾通いしている。
    • 鉄緑会、駿台エクストラ講座河合塾ハイパー講座、東進東大特進コース、研伸館特別選抜S、高等進学塾など。
      • 鉄緑、駿台、研伸館以外は、特待生としてタダで籍だけ置いて通っている。
    • 河合塾の高校グリーンコースを飛び級で一学年上を受講しており、「エンリッチ講座」(現・ハイパー講座)は灘の高3生のために設置されたとも言われている。
  • 小泉徹先生曰く、「『灘とか塾がスゴイ』じゃなくて、『灘に行ってるやつらがスゴイ』ですからね」とのこと。
    • それ程生徒のレベルが高いのである。
  • 毎年、トップ3は数学オリンピックに出場したり、高2の段階で東大実戦でランクインしたりするなどして神扱いされている。
  • 毎年、成績下位の3名ほど(通称:裏トップ3)は学校に反抗してか、最後の最後まで受験勉強しない。
    • が、結局浪人して(G)MARCHあたりに進学するという。
      • それでも難関校とされているところに進学するのだから流石ではある。
    • 稀に浪人してから一念発起して東大に受かったりもする。
  • 戦前の旧制灘中時代は、旧制神戸一中(現・神戸高校)の滑り止め的地位の学校であったが、戦後の学制改革の際に、学区の関係で旧制神戸一中から新制神戸高校に移れなかった優秀な生徒を受け入れ、立場が逆転していった。
  • 東京の麻布中高と兄弟校で、稀に転入して来る者もいた。
    • 有名な例では小説家の高橋源一郎氏が該当する。なお大学受験には失敗し横浜国大中退。
    • 逆に灘から麻布へ転校した例では地震学者の都司嘉宣氏など。
  • 一応、高校からも入学可能だがかなり難しい(新高生)。
    • 薄大助先生曰く、「灘高校入試の英作は大阪大学のやや易レベル」。
    • 首尾良く合格しても高校一年時は授業についていくのが尋常じゃないくらい大変なことは覚悟しておこう。
    • やはりこれらの試練を乗り越えるだけのことはあり、高校二年以降の学力は全体としては中学の三年間で堕落しきった在来生に比べて一段高い。
  • 1987年のいわゆるダブル受験の年には、「(東大)理III蹴り阪大医」進学の現役合格者がいて、東大理III病の同級生の顰蹙を買ったらしい。*2
  • 1988年には、「(東大)文I・医ダブル合格」者(現役)がいたが、東大文Iに進学した。*3
  • 2019年、筑波大学医学群在学中の卒業生がラグビーの全国大学選手権に出場した。
  • 京都の洛南中高が共学となり、関西女子御三家(神戸女学院、四天王寺、京都女子)を抑えて、関西圏の女子の優秀層が殺到したことから、洛南が「女子の灘」というちょっと意味不明な異名で呼ばれることがある。
  • 兵庫県内の新興私立進学校は灘高校を目標としてる所が多いが・・・達成は夢のまた夢だろう
  • 最近は、塾の宣伝や力試し、記念受験で受験だけして、合格しても進学しない、いわゆる「灘蹴り」も少数ながら見られる。

卒業生





*1 例年、東京大学合格者数は開成、卒業生数に対する東大合格者占有率は筑波大附属駒場、[[国公立大学医学部医学科>医学部]]合格者数は東海にそれぞれ負けるが、卒業生数に対する東京大学京都大学、[[国公立大学医学部医学科>医学部]]合格者占有率はズバ抜けており、総合すると実質、全国一と言われている。
*2 月刊『ヴューズ』1996年10月号?(講談社)
*3 『天才たちのメッセージ 東大理Ⅲ 1988』(データハウス、1988年)